Mのブログ(仮)

生まれる時代をちょっと間違えたかもしれないアイドルオタクの人生

握手券無限回収中

こんばんは。Mです。

Qlairはシングル7枚・アルバム4枚・映像2作品、それに加えて2005年に発売のベスト盤1枚、計14種の作品を残しています。
そのわりにうちには全部でCD、VHS、LDが計32枚あるという謎の現象が起こっています。
おかしい。
単純計算で1タイトルにつき2枚以上所持している計算になりますが
中でも何故か多く所持しているのがこちらです。

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4thシングル『眩しくて』
普通に生きてるだけなのに増殖してゆく。

まあそれにも理由があってですね。
このCD、当時は握手券封入だったのです。

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なので現在中古店でも、使用されなかった握手券が入ったままで売られているものがあります。
CDなんて一枚あれば十分なんですけど、握手券が入ってるとついついほしくなっちゃうんだよね……。
握手のためにCDを何枚も買う人の気持ちが今ならよくわかります。

 

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現在CDは7枚、握手券は5枚手元にあります。
「そんなもの集めてなにするんだ」って感じだけど
わたしは将来1992年に行ったらこれでQlairと5回握手するから。
Qlairの握手会は一気出し可能なんでしょうか。
それとも5ループしないといけないのかな。
メンバーに「こいつまた来た」って思われて嫌がられないか不安です。


『眩しくて』はわたしがわざわざ説明する必要もないくらい名曲ですよね。

友達の彼氏のことが自分も好きだけれど、今の関係を壊したくない。
そんなもどかしく切ない想いを歌いあげた一曲。
青春や三角関係というドロドロした言葉はどうも似合わないくらいきれいな歌だよね。

でも、どうしてもわたしはこの歌に違和感がある。
上記のが一般的な解釈だと承知の上で言うけれど、
どうもわたしには、この歌の主人公の女の子は『彼』ではなく『彼女』に恋しているように聴こえてしまいます。

「夏が近づいたね いつもの帰り道
 髪を解いて 彼女が呟いた」

まず歌い出しからして美しすぎるよね。
もうこの時点で、『私』は『彼女』の些細な仕草や言葉まで目で追っています。
すごい色っぽい目で彼女を見ている気がする(妄想)
その後、彼女と書いて『あなた』と読ませる表現も気になるところ。

ちょっとこの歌に関してはもっと考察していつか論文を提出しようと思います。


カップリングの「君住む街」は井ノ部ヒロちゃんのソロ曲です。
わたしがQlairの楽曲で一番好きな歌はこの曲です。
(まあソロ曲だから厳密的にはQlairの歌じゃないんだけれど)

この歌は歌詞にいろいろな景色が出てきます。
ヒロちゃんの歌声にのせて、頭の中で一つ一つその光景が浮かび上がる。
脳内でこの「君住む街」が構成されていく。
当然自分の知らない街なのにどこか懐かしく感じるのが不思議です。
多分聴く人それぞれに、「わたしの描く君住む街」があるんだろうな。
ヒロちゃんの透明感のある歌声に紡がれて作り上げられた世界は
わたしの頭の中ですごくキラキラと輝いています。
それでも儚さは拭えない。


「泣きたい程 あ…好きなのに」

好き「なのに」。
すごくいろんな意味を含んでいる気がする。
でもどこか言い訳じみているというか、諦めかけている感じがする。
それが一度「好きなの」と強く感情を露にするのがいいなぁ。

この歌のポイントはやっぱり台詞の部分ですよね。
わたし、この歌に出会うまで曲中の台詞は蛇足だと思っていました。
でも世界を壊すことも違和感を与えるなく、自然と入るヒロちゃんの言葉。
この歌はこの台詞部分がないと完成しないよ。ほんとに。

ピンポイントで日時が指定されている分、
聴く人間に強い印象を与えたなぁと思います。
5月4日、絶対に忘れられない日になりますよ。


なにより、この歌の一番美しいところは結末が描かれていないところだと思う。
君に会えたのか、会えたのならなんて言ったのか、大切な忘れ物は見つけられたのか。
一番肝心なところを曖昧にしたまま終わっていくのがほんとうにきれい。

その後どうなったのかは想像にお任せします、なのかもしれないけれど
このままあえてなにも想像しないのが一番きれいかもしれないね。

きれいって三文字では現せないくらいきれいで大好きな歌。
ほんとうはもっと考えていることとか、思っていることが沢山あるんだけれど
それを表現する言葉が上手く探し当てられないわ。
わりとブログで文字にするのは難しい。
そう思うとツイッターの140字は特に深く考えず呟いているんだな。